Yasuhara Rumi

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曳舟。

何度も通った曳舟。曳舟はそれまで全くと行っていいほど行く機会が無かったのですが、、曳舟にアクセサリーの職人さんがいて、縁あってその方とお仕事させてもらうことになり、そこからは何度も曳舟にいくようになりました。亀戸駅からのワンマン電車が、東京に居ることを忘れてしまうような感じがして、曳舟までの道のりも好きだったりします。オーナーでもあるその職人さんは、とても情熱的で、会うと必ず長く話しすぎてしまい、うっかりもうこんな時間!なんて事もあります。アクセサリーなどのVintageのパーツをこんなにも好きな人に、私は初めて会ったのではないかと思います。その手の話になると話が尽きない方で、、莫大な種類のVintageのパーツや石やガラスやチェーンなどを、フランスやドイツで昔に買い占めたんだ、と嬉しそうに話してくれました。その職人さんはいつも可愛いエプロンをして出て来られるのですが、打ち合わせ中、次から次へとそのエプロンのポケットから、宝物の石やガラスを嬉しそうに出してくる姿がとてもチャーミングで、私はいつもその石やガラスたちに魅了され、あー絶対これでピアスをつくりたい!とか、ネックレスをつくりたい!と、創作意欲が湧き出てきます。小さい頃に、おばあちゃんのジュエリーボックスを眺めながらドキドキした時の気持ちを思い出すような、そんな場所なのです。その工場には何人かの女性の方がいらっしゃるのですが、その中に1人、21歳の女性が居ます。その子が本当に人懐こくて、可愛くて、仕事にも熱心でセンスも良く。彼女にいろんなアクセサリーの詳しいことを教えてもらいながら、彼女と共に作り上げたアクセサリーたち。全て手作業でオリジナル。パーツは、オーナーが20年前に自らドイツに行き、60年代のVintageのガラスや石を買い占めた、という、数量限定のものを使用したり、日本の60から70年代もののパールを使用したりと、本当にここでしか作れないようなものを一から作りました。真鍮を手でねじったりして、独創的な形にもチャレンジしました。最近は耳に穴を開けない方も多くなってきていたり、いやいや絶対ピアス派、という方もいらっしゃったりするので、ラムシェではピアスもイヤリングも両方作っています。揺れる、というキーワードも取り入れて、着けると揺れる物が殆どです。お客様の元に届けられる日が待ち遠しい限りです。Rumi

新しくブランドを立ち上げました。

初めまして。安原瑠美(旧姓 近 瑠美)と申します。洋服を作る上で、自分の思いを伝える場所は無いかと考え、今日からブログをスタートする事にしました。これから少しずつここに色んな事を書いていけたらな、と思っています。私自身、デザイナーになって14年。様々な素敵なブランドで、デザイナーとして沢山の経験をさせてもらい、成長させてもらい、14年目のこの2018年に、自分自身のブランドを立ち上げる事になりました。私は新潟の新発田市という場所で生まれ、小さな時から、おばあちゃんと田んぼや畑のお世話をしたり、海で貝拾いをして宝物にしたり、野原のお花で髪飾りや指輪を作って遊んだり、と自然に触れて育ちました。空を見上げれば視界に山が入ってくるようなところで、良く山を見ていた記憶もあり、今でも都会から離れ、どこかへ向かう車や新幹線の中から山が見えるとホッと、安心したりもします。夕日も大好きでした。そしてお家の中で遊ぶのも大好きでした。お絵かきしたり、綺麗なビーズで模様を作ったり。そしておばあちゃんのお家にあったジュエリーボックスを見て遊ぶのも大好きでした。そんな私が20歳で東京に上京し、デザイナーとして仕事をするようになったのですが、今思い返しても、"洋服のデザイナー"という職種をあのとき見つける事が出来て本当に良かったな、と思っています。中、高校生の時、暇さえあれば絵を描いていました。その時は洋服のデザインというよりは、女性の絵を描く事が多く、カラフルな色で何枚も女性の絵を描いていました。そのうちに自分の中で書き留めるだけじゃ満足いかなくなってきたのか、、恥ずかしながらも、友人にその絵を見てもらったり、プレゼントしたりし始めました。とても照れくさかったのですが、本当にみんな優しい友人ばかりで、みんながとても褒めてくれました。可愛いね、とか。綺麗だね、とか。本当に嬉しく、モチベーションがあがった私は益々力が入り、沢山絵を描いていました。そしてある日、高校生の時です。1人の友人に、可愛い!この服着てみたい!と言われ、私の中で衝撃が走りました。私はこの瞬間に、あ、私がやりたいのはこれだ!と確信したような気がしています。そこから専門学校に入り、毎日洋服の勉強が出来る事が嬉しくて仕方ない、楽しい専門学校生活。毎晩、お家で課題を作製したりデザイン画を描いたり。夜通し、寝るのも忘れ、絵を描いていました。やがて就職活動。悔しかったり、自分の不甲斐なさに涙を流すこともあった就活。晴れて内定を頂いた会社に、デザイナーとして入社しました。そこでは優しい先輩方に、企業デザイナーとしての仕事を基礎から教えてもらい、洋服を作っていくわけですが。学生の頃とはもちろん違って、自分がデザインした洋服を世の中の方に見て触れてもらい、しかもそれをお金を出して買ってもらえるチャンスがある、という事に本当にドキドキしながらデザインしていました。そんな舞い上がる気持ちと、現実に人に着て貰うためには、喜んでもらうには、どうしたら良いお洋服が出来るか、毎日葛藤していたようにも思います。そんなデザイナーとしての14年間。未熟だった私を初めて採用してくれた川辺社長、上司だったデザイナーの橋元さんや、売り場研修の時の増田店長。再スタートで転職した先の林社長やディレクターの高井さん。そのほかにも沢山の方々に育てて頂き、今の自分が出来上がったわけですが。ようやく中学生からの夢だった自分自身のブランドを立ち上げる事になりました。まだまだ私の力では早すぎるかな、とか。不安な気持ちもありましたが、それよりもやってみたい、挑戦してみたい、という気持ちが強くなりました。そして何より一緒にやろうと言って支援してくれた仲間に、背中を押してもらったように思います。そしてコツコツ少しずつ温めてきた、"表現したい事"を少しずつ整理しながら、着てみたいと思ってもらえる洋服を目指しデザインしています。デビューはこの2018年の秋です。少しずつこちらのブログでご報告させて頂けたらと思っています。とても長くなってしまいましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。